「生活空間」としての白鳥

「しろとり自治会報」第72号(令和6年7月1日)に掲載されたエッセイをリライトしたものです(※若干、語尾、接続詞など変更しています)。

白鳥はかつては「宗教都市」であり、また同時に「貿易都市」でもありました。
様々なご意見はあるでしょうが、私は白鳥は観光というより(それも大事にすればいいと思いますが)「生活空間」として成長していけばいいと思います。
本稿は白鳥が今後どのように発展していくべきか、その大まかなイメージについて語るものです。

白鳥の川岸を歩く~「しろとり自治会報」第72号掲載エッセイ~

白鳥の皆さん、こんにちわ! みずのまりです。
さる5月22日にインバウンド向けの白鳥おどり体験施設「世栄(よさかえ)」のお披露目会が開催されました。
施設の設置は、今後推進されていくだろう白鳥周辺における高規格道路の整備を見越すと、希望に満ちたものでした。
尽力された白鳥振興プロジェクト委員会の皆様、また関係者の方々に心からの謝意をお伝えしたいと思います。

さて、私が多治見から郡上に移住して3年、白鳥においては2年半が過ぎようとしています。
あっという間でした。多くの人々に助けられた思います。
当初半年間は明宝にいましたが、白鳥に来てからは特に縁と人脈に恵まれました。
思い返すと人生の不思議と運命を感じずにはいられません。

私はもともと趣味である狩猟がしたくて郡上に移住してきました。
ですから「郡上に住みたい」というよりは、ある「目的」のために「結果的に郡上に住むことになった」という感じです。
また、その「住む」というのも、私の興味は山の中、森の中にあったわけですから、「まちの中に住む」という一般的な生活感からはかけ離れたものでした。
そんな私が「あれ?郡上も住んでみると意外といいもんだな…」と思い始めたのは、実は白鳥に移ってからなのです。
明宝に比べると白鳥は圧倒的に便利でした。国道沿いにスーパーやコンビニ等、郊外型の店舗が集まっています。
商店街は寂れたといえ風情のある面影を残しており、犬の散歩に出るうちに自然と顔見知りが増えていきました。
なぜか飲食店が多く、どこに入っても美味しいのですね。中には大都市にあっても遜色ないレベルにおしゃれなショップも存在しています。
「あれれ?なんだろう?この感じは…」
私は白鳥に来てから奇妙な既視感に度々襲われるようになりました。
住んでいる場所が白鳥町でも特に中心部の白鳥区だからというのもあるかもしれません。
が、実際、白鳥での生活は、都市部の周辺にある、いわゆる「地方都市」、いわゆる「郊外」といった場所における生活とさほど違いはないような気がします。

「田舎」でもなければ「都会」でもない、どこでもなければどこにでもある。便利でもあり、不便でもある。日本のいたるところにあるような、そんな平凡な都市空間。それが私にとっての「白鳥」でした。
そして「地方都市としての白鳥」は物静かで「何気ない日常」のイメージであり、「観光立市郡上」のイメージとはなにか少し違うような気がします。
もちろんですが、先述したようにインバウンド需要の高まりや、高規格道路の広域ネットワーク(縦貫道路)が実現すれば、白鳥のまちのあり方は今後様変わりしていくことでしょう。
そこには様々な人の思惑が交錯すると思います。

ただ私は、日常の「なんでもない風景」に溶け込んでいる白鳥が好きです。
スーパーの袋の中や、路地裏に立ち込める夕飯の匂い、ガレージの日陰の中、川岸から吹いてくる風と共にこのまちで生きて行きたいと思っています。
特別なものではない。そうした「なんでもなさ」「平凡さ」「凡庸さ」の中にこそ白鳥の「住みやすさ」があるんじゃないかとも感じています。

白鳥にずーっと住んでおられる方々にとって、「白鳥」はどんな「まち」なのでしょうか。
そしてこれからどんなふうに発展、振興していくと良いとお考えでしょうか。
皆さんと共に考えて行きたいと思います。
これからもお世話になります。
私はよく犬と堤防沿いを散歩しています。見かけたら気軽にお声がけくださいね。
では、また!

以上です。
pdfも置いておきますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です