郡上学と掛川学~12月一般質問
12月の一般質問が郡上市議会YouTubeチャンネルでご視聴いただけます。
山川市政の新体制となり、郡上市の社会教育事業である「郡上学」もブラッシュアップされるということで、その「新しい郡上学」についてです。
新しい郡上学は、その名も「シン・郡上学」と言うのです。
「シン」という言葉が多義的な多義的な意味を持つものなので、カタカナ表記となったのですが、なにやら某有名アニメ監督のシン・シリーズのようですよね。
現在、旬にある流行語などを使用することの弊害…例えば数年後どう感じられるか?などの懸念も議員の中には(当然ですが)ありました。
ただ、某アニメシリーズもTV版放映から30年余り、新版で17年余りですし、某々ロボットアニメは今や世界的なモンスター市場を作り上げています(後数年で半世紀過ぎます)。
まあ、ある事柄がカタカナ表記となりミーム化するというのも、昨今珍しい現象ではありませんし、数年後に聞いたら恥ずかしいものになる…ということは、あまり心配しなくてもいいのかなと個人的には思います。
ところで、郡上学は日置前市長が「掛川学」に着想を得て始められたものです。
この「掛川学」は伝説のカリスマ市長として知られる静岡県、旧掛川市の榛村純一が提唱しました。
昭和54年、1979年 今から45年も前のことです。
しかし、彼の提唱した「生涯学習」は、ただの「郷土学」「ふるさと教育」ではありませんでした。
榛村純一の「掛川学」とは一体何だったのか。
当時、40代だった榛村ですが、廃れきった地方都市において、およそ実現不可能と言われたような事業を次々と成功させて行きます。あまりにも有名なのでここでは説明しませんが、掛川市は県下有数の工業都市として返り咲き、新設合併直前には財政力指数が1を超えました(合併直後に赤になりますが…)。
つまり、彼の言う「生涯学習」というのは、教育などソフト事業だけでなく、故郷を立て直すために行った数々のハード事業も含めて、地方における「人づくり」人材育成、「まちづくり」地方創生を包括したものであり、その根底にあるイデオロギーこそが「掛川学」の本質なのです。
これが掛川学がただの教育理念ではないと言われている理由です。
我々の郡上学はこの掛川学のDNAとも言うべき精神を受け継いでいるものだと思うと、ちょっと胸が熱くなりますね。
その「郡上学」も時代の変化ともにアップデートが必要です。
そこで次世代の郡上学、まさに「新郡上学」と言っていい「新しい郡上学」について、教育次長、山川市長がそれぞれ語っています。
ご視聴ください。