「重ねる」~フィルムの中を生きる
去る11月3日、和良町民センターにて試写会が行われた同作品においては既にオンライン上で話題となっている。なかなかの好評ぶりだが、個人的には観終わってかなり違和感というか、残尿感があった。
「個人的には」と前置きしたが、そう感じたのはおそらく私だけに留まらないはずである。この映画は思わぬ顛末を唐突に迎え、しかもエンドロール後、これまた謎めいたカットで終わるのである。「なんだ、これは…」その時、会場には文字通り人々の「どよめき」が起きたほどである。
「生活空間」としての白鳥
「しろとり自治会報」第72号(令和6年7月1日)に掲載されたエッセイをリライトしたものです(※若干、語尾、接続詞など変更しています)。 白鳥はかつては「宗教都市」であり、また同時に「貿易都市」でもありました。様々なご意見 […]
SDGsの課題、あるいはサブカルと資本主義について~映画『もったいないキッチン』
本作の良さは、二人の活動が、ゴミの再利用だったり、理想論の啓蒙活動に留まらなかったことだと思われる。
きっかけは「もったいない」という社会への関心だ。
だが、いつしか彼らの旅は、創作性のある現代の食文化の探求となり、暮らしや生活、人と人との出会いや繋がりを問い直す高みへと達していく。その様にはやはり感動してしまう。
討論会でかいま見える社会の問題
郡上青年会議所主催、リンカーンフォーラム後援による郡上市長選挙公開討論会(詳細画像参照のこと。※画像の権利は保護されています)に行ってきました。ブログでリポートまでする気はなかったのですが、ひとつ問題を感じました。それがどうでもいいっちゃどうでもいいのですが、良くないと言えば良くない話になると思います。
人を「集める政策」と「増やす政策」
別の言い方をすれば「人を集める」政策と「人を増やす」政策は根本的に異なるものだ、ということなのです。
「郡上に来ると楽しい」は「郡上は住みやすい」「郡上に住みたい」に近似値かもしれない、けど、イコールではない、ということです。
郡上で生きるということ
「女性が一人でも安心して暮らしていけるまち」があったとしたら、およそそこは誰にとっても楽に暮らしていけるまちではないでしょうか。
そういうまちにしないと、郡上にいくら魅力があったとしても、そこでいくら人が集まったとしても、「郡上に住もう」という人は増えていかないと思います。
このまちがすきだというキモチ
郡上に移住して二年、もうそろそろ三年目です。 休日に山に行き、山頂からの景色を眺める、森の匂いに佇んでみたり、キノコを取ったり、鹿や猪を追いかけ回す。 そんな事がしたくて私は郡上に移住しました。 ですから、郡上と言えば「 […]