テント芝居とはなんだったのか

劇団「どくんご」について

2000年代以後、ほとんど姿を消したはずのテント芝居による旅公演(※)を毎年のように全国で続けていた劇団があった
劇団「どくんご」 1980年初頭に結成され、彼らはほどなく仮設テントで上演する形態を開始する
当初は3~4年おきだった旅公演だが、やがて毎年全国40ヵ所余りを半年以上かけて回るようになった
その旅公演は演出家が死去する2024年まで続き、以後は休止状態となっていたが2026年、「夏型天使」に改名して再び始動する

これを受けて代表の五月うか氏を招き、批評家の海上宏美氏、演劇家の小林保夫氏と政治活動家、文筆家の外山恒一氏を交えたトークショーがあった(名古屋今池のライブハウス「得三」)

※テント芝居を上演する劇団は現存するが、「テント芝居で全国を旅(ツアー)する劇団」はほぼ全滅したと言っていいだろう

テント芝居について

寺山修司と天井棧敷館(1969年)©テラヤマ・ワールド

「テント芝居」は、1960年代後期から始まったアングラ演劇のひとつの「手法」であり、当時の日本社会のあり方と強く結び付いていた
高度成長と都市再開発、テレビの普及、安保闘争を経て政治イデオロギーは陳腐化し、説得力を失っていた
こうした中で、既成の劇場や上演の制度を守り続ける日本の近代劇への違和感が若い演劇人の間で共有されていった
それは、例えば近代的ブルジョワジーを象徴し補完する「劇場」、台本と写実性を中心にすえる新劇のリアリズムへの反発だった
同時に日本における舞台芸術のモダニズム運動でもあったと言える

唐十郎率いる「状況劇場」の「紅テント」はその象徴とも言うべき存在だった
仮設テントにより舞台と客席は曖昧になり、物語に中心はなく、誰かの夢を覗くようであり、支離滅裂だった
エロスと政治性、土俗性が混じり合うその劇空間は日本の都市社会に突然生じた「裂け目」だった
ラストシーンで大転換し、テントの側幕が開かれ、舞台が都市の風景に解き放たれる時、きっと誰もがそう思ったろう
ああ、自分は今、本当に都市の裂け目を見ている!と

唐十郎はテント芝居について「都市の無意識を掘り起こす呪術だ」と述べている
まさにそれは「呪術」だった
政治性や共同体性をより追求していった佐藤信の「黒テント」、今で言うマルチメディアな展開を戦略的にとった寺山修司の「天井桟敷」
「テント芝居」は拡張し、多様化し、多くの若者を魅了していった
各地で夥しい小劇場、アングラ演劇を派生させ、また新しいムーブメントを起こしていった

'80年代の小劇場ブーム

第三舞台「朝日のような夕日をつれて'87」より

一世を風靡したアングラ演劇とテント芝居だったが、時代の変化と共に次第に陰りを見せていった
とりわけ1980年代以降の小劇場ブームでその状況はより明確なものとなった
私が学生演劇から小劇場の世界に足を踏み入れたのも、この時期だった
当時の旗手として代表的格は、第三舞台や夢の遊眠社、全自動シアター、劇団★新感線などだ
洗練された言語ゲーム、スピードと笑い、俳優のキャラ感、舞台装置のキラキラ感、脱構築、ポストモダン、虚構とドラマツルギー、映画やマンガのパロディ、エンタメ成分…
「小劇場ブーム」というのは、つまりかつてのアングラ劇、小劇場の「商業化」であり、ポップ化だった
そしてまたたく間にこれらは官製のフェスや文化事業といった制度に取り込まれていった
かつてアングラ演劇が提唱した過剰な身体性や一回性、共同体的な祝祭性、土俗性といったものは、一部のアートパフォーマンスや舞踏家によるコンテンポラリーダンスに継承され、周辺化していった
こうして、制度や市民社会、権力を逆照射した手法、手段としてのアングラ劇、テント芝居は意味を失っていった
特に仮設テントによる旅公演という形態は、2000年を越える頃にはほぼ絶命したといっていい状況となった

※その役割は変容したと言っていいが唐組の紅テント、黒テントは現在も活動している この他、テントによる上演形態は、風の旅団~水族館劇場、野戦之月、劇団野らぼう、など各地に存在している

テント芝居とはなんだったのか

デモに臨む全学連 出典:Wikipedia

安保闘争の結末は散々なものであり、当時の人々には想定以上の敗北感を与えた
条約は結局成立したし、分裂と内ゲバを繰り返した運動は大衆の意識と乖離していた
この体験により失われたものは「正しい言葉や行為により世界は変わる」という感覚そのものだった
以後、人々は政治について語れなくなった…と言うより、政治を語る言葉や態度を信用出来なくなった
イデオロギーでは現実を説明し切れなくなったし、「正義」は人を傷付け、争いを正当化する一種の「暴力」になった

政治を語る言葉、理念が失われた後の政治性を身体的に引き受けていったのがアングラ劇やテント芝居ではなかったかと思う
しかし、それらも振り返ると、見事に全て朽ち果てたと言えるのではないか…

劇団「どくんご」公式サイトより

ところで、多くのテント芝居、旅公演を行う劇団が政治性や政治イデオロギーと強く密着していたのに対し、「どくんご」の立ち位置はいささか異色だったと思われる
もちろん彼らが政治性と完全に無関係だったとも言えない
彼らがそうでも、周りはそう見なさないだろう
しかし、彼らのインセンティブというのは、政治イデオロギーにあったと言うよりかは、目前にあるものに、ただ無心で、一所懸命だっただけ、なのではないか

それは夢や希望を抱きながらも、日々の忙しさに追われるしかなく、例えば玄関を出た後、電車に乗り遅れないようつい駆け足になってしまいましたとか、そういった日常を乗り越える、およそ誰にでも備わっていそうな「生活感」みたいなものに近いような気がするのだ

誤解を恐れずに言えば、多くの劇団がイデオロギーや「芸術」においてプロであろうとした、技巧的であろうとした、革命家であろうとしたのに対し、彼らは「素人であろうとした」というか、生活者であろうとしたし、凡人であろうとした、無能者であろうとした…ようにも私には見える

劇団「どくんご」公式サイトより

結局、テント芝居とは一体なんだったのだろうか

今現在、イデオロギー的には自分が右にいることを私ははっきり自覚している
だが、当時の私はアングラ劇やテント芝居が放つ政治性が好きだったし、左派に憧れていた
マルクス、サルトル、ボーヴォワール、フーコー、ドゥルーズ、丸山眞男、吉本隆明、柄谷行人…

その当時、学生運動はとうの昔にオワコンとなっていたが、何か革命めいたものを信じたい、モヤモヤした自分がいた
しかし、政治や革命を簡単には信じられなくなって以後、言葉ではなく、身体で政治を語ろうとした数多の劇団、テント芝居が消えていく中で、素人であろうとした彼らが今も生き残っていることを、私はどう受け止めればいいのだろうか

劇団「どくんご」を最初に私が目撃してから実に40年もの月日が流れたことに今更ながら驚いている
私はもしかしたら、というか間違いなく、この世界について、この世の中について、つまらない見方をしてきたかもしれないと悔いている
そして悔いることが人生においてこれほどまでに辛い体験だということを60歳を目前とした私は実感した
そのことに気付くのに、実に40年もの時間がかかったということではないのか…
これこそが極めて政治的な問題ではないか

今再び彼らの舞台を観たなら、私は果たして別の見方が出来るのだろうか

あれは一体なんだったのだろうか

もう一度、観なくてはならない
そして、かつての、なんちゃって左派だった自分に何か言うべき言葉を見つけなければならないのではないかと、私は考えている

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